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クリスマスローズの育て方とガーデニング 花と園芸植物の販売情報

若泉ファームのサイトにようこそ。お届けするクリスマスローズは奇跡の花、ニゲルとチベタヌスの交配種「絹」、外覆輪のセミダブル「雅」、ホワイト糸ピコティ「FirstKiss」、グリーンピコティ「翡翠」、赤い雄しべをもつ「卑弥呼」、 第4のクリスマスローズジャンル「Shall We Dance」などオリジナル品種をネットショップにて販売していますのでご利用ください。

議論議論と若い造園業の人

3月10日

庭植えのクリスマスローズとモミジ
日本列島も昨年の今日まではいろいろあっても、ある程度は幸せな国だったのかもしれません。

今日は3月10日は、東京大空襲の記念日。
最近ではマスコミもあまり取り上げなくなってしまったが東京生まれの東京育ちの身には身近なこと。
昭和20年3月10日。
太平洋戦争の末期、空襲警報のサイレンが鳴り息も絶え絶えの日本。
東京の下町、江東区や墨田区、そして荒川区などには軍需工場が多くあった。
しかし、そこには資材も無ければ造られた軍需物資を運搬する策も無い。
その軍需工場を標的にしたと言われるが、そこは戦闘員では無い民間人の住まいが多くあっった。戦闘員では無い女や子供たちも。そして老人も。
死者八万人以上。
負傷者四万。
そして被災した人の数百万以上。

当時、私が住んでいる地帯は純農村。
一キロ先までも見渡せるような田園地帯。焼け野原になった江東区などの下町から川筋の土手に沿って焼夷弾と火から逃れてきた人々が溢れていたと聞く。
そこにも東京の下町を焼け野原にした焼夷弾が風に運ばれて数限りなく落ちてきたと子どもの頃聞いた。
田んぼに突きささった焼夷弾を抜き出し近くの溜め池に捨てたり、また子供が拾ってきた焼夷弾をたき火の中に放り込んで爆発して死んだりと。
子どもの頃はそれらの痛ましい出来事を祖母などから寝物語に聞いた。

そんな時代が過ぎ、一時はある意味、経済的にも幸せな国を謳歌していたが平成に入った頃から思いもかけないような事ばかり3月に起きる。
オウムの事件も3月だった。
そしてもう一つが昨年、東北地方を襲った地震・津波と原発の事故。

あの時間、ハウスでクリスマスローズの苗を植え替えしていると、なぜかめまいがする。
続いて近くの高速道路の橋桁が大きな音を立て始め、駐車場に止めている車がポンピングを始める。
庭木の大きなものまで揺れ電柱も電線も大きくしなる。

関東大震災当時、農業と共に酒屋も営んでいた。
この時代は人力に加えて牛や馬などが仕事の頼り。新しく買った牛をお披露目しようと酒屋の側にある木に縛り付け、どうだこうだと話していたときに関東大震災の地面を突き上げるような揺れ。
買い物客は新しい牛を見ようとしていて店の中には一人もいなかったのが幸い。
酒屋の店は地震の揺れに耐えられずつぶれてしまったそうだ。

今まで自分が経験した地震は地震では無い。
いま目前でおきていることが本当の地震だ。

あの東北大地震から明日で一年。
どれだけ東北地方の復旧が進んだのだろうか。
テレビの画面や雑誌や新聞から漏れ伝わってくるのは津波で流された海岸縁の瓦礫が別の場所に片づけられて更地になった画面。
復旧の一文字も無い荒れ果てた姿。
そして原発事故のため故郷を追われた人々。
友人の妻は福島相馬の出身、被災地にはクリスマスローズのお客様も数多く住んでいる。友人も住んでいる。
また秋の一日、女房とドライブした場所も茨城から福島に入ったところなどと。
その魚市場も津波で流されてしまった。

10年ほど前から「議論しよう」「議論する」「議論している」との政治家たちの言葉がテレビなどでむなしく流れてくる。
「議論」はもういい。
記憶が曖昧だが「議論」という言葉が多くなったのはここ十年ほどでは無いだろうか。それ以前は政治家の口から「議論」という単語はあまり聞こえてこなかったようだが。

今日のクリスマスローズの直売。
ある意味、嬉しいこともあった。
それは昼過ぎのこと、20代の若い男性がハウスに入ってきた。
あれ少し若すぎるお客だなと思った。
ピンクのクリスマスローズを二鉢ほどお買い上げいただき、それとなく話し込んでみると仕事は造園業。
今日は雨で仕事が休み。
時々、造園でお世話になっているお客様からクリスマスローズの育て方などを尋ねられると、、、。

それでクリスマスローズを自分で育ててみて、造園でお世話になって居るお客様などの役に立ちたいと。
小さな事かもしれないが「議論・議論」の人たちよりどれだけ自分の仕事に真摯に臨んでいるか。
議論議論の人たちと比べると造園業の若い人の方がどれだけ世間の役に立っているのだろうか。

 

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